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生まれてこないほうが良かったのか? ――生命の哲学へ! (筑摩選書) by 森岡 正博 感想

             

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https://youtu.be/X7aHDFRs1n0

(本記事音声)

 『生命の哲学へ!』シリーズ第1部として書かれた本書。『生命の哲学へ!』第2部と『誕生肯定の哲学』が続刊予定とのこと。『生命の哲学』に関しては射程範囲が広いこともあり、また著者が以降創造していこうとする領域なので興味のある方は著者のサイトで 一連の論文をチェックし、購入判断材料としてみても良いでしょう。ここでは主に『誕生肯定』の方を検討していきます。

 反出生主義をメインテーマに据えた書籍が沢山出版されてきた中、こういったアプローチでこの哲学を取り扱った本はおそらく初と思われます。強いて言うなら反出生主義の全体像を語ったうえで自分の立場を提示するという構成は社会学者のKen Coates氏著『Anti-Natalism: Rejectionist Philosophy from Buddhism to Benatar 』と似通っており、同書は本書の参考書籍の一つにもなっています(但し両著者の立場はかなり異なっている)。

 反出生主義を“乗り越える”ことを目標とした書籍ですが、反出生主義を全否定することが目的ではないので、140文字やそこらで語られるような脊髄反射的でおざなりな反出生主義への反論もほぼ見受けられませんでした。また、人類が繁殖し続けることをとかく善と見做す出生主義/礼賛的な内容でもなく、7章では人類の存続/繁殖を肯定しようとするヨーナスやワインバーグの思想に潜む欠点の洗い出しが行われています。この点は慎重に議論が進められており、ここから著者が出生に伴う暴力性に無自覚ではないことが伺えます。著者の過去作『無痛文明論』でも確かオスのひよこが畜産の過程でシュレッダーにかけられ無意味に殺害されることについて疑問が投げかけられていた筈なので、人間が他の動物に為す害悪についてもまた意識されていると言えそうです。

 著者が冒頭で非西洋の哲学も徐々に語られねばならないという認識が世界的に広がっていると語っていたのが印象的で、有言実行している4-5章はなかなか独自色が強く興味深かったです。原始仏教の要諦や現代の反出生主義との差異を学びたい人には特に価値のある箇所でしょう。詳しくは解説できないのですが、東洋、特に仏教において『我』がどのように受け止められてきたか、それが反出生主義をめぐる議論でどう生きるのかということが語られていました。

 ただ、言うまでもなく本書は『生まれてこないほうが良かった』を強く意識した題名ですが、現代の反出生主義への論駁を試みている箇所は個人的にはいまいちでした。

 著者は6章でニーチェの『永劫回帰』『運命愛』を手掛かりに『誕生肯定』への道筋を探し出そうとしており、特に『運命愛』の『現にそれ(より恵まれた世界線など)があるのとは違ったふうなあり方であってほしいなどとは決して思わない』という命題を肯定的に受け容れ、どんな悲惨な過去であってもそれをもう一度希求する『永劫回帰』と距離を少し置く姿勢を示していますが、人類が繁殖を続けていくのであれば結局薄まった形ないし異なった”時間”の概念を伴った『永劫回帰』を受け容れるなり押し付けるなりせねばならないのではという疑問を抱きました。著者も自身のニーチェの哲学をそういう風に受け取ることの欠点はある程度認めていますし、外ならぬニーチェも自身の人生、特にその末期を何度も受け入れられるのかというと疑問ですし(こちらは些末な問題かもしれませんが)*1、この点は素直には受容しがたいところです。

  一方チャイルドフリーであり、ニーチェアンであった岡本太郎が純粋な量で言えば、殆どの子持ちよりも後世に多大な功績を遺しているのを見るに、ポリアンナなお花畑ではない『運命愛』を真に抱いて突き進んだ人間のパワーに目を見張るものがあることも頭に入れておいた方が良いのだろうなとも思いました(雑)。

  他に、著者は2章でや8章でショーペンハウアーやベネターの哲学を「白いキャンバスに一滴もインクを落とすことを認めないもの」という比喩を使って糾弾していますがこのあたりも引っかかるポイントが多かったです。*2

  まず、ベネター自身は自身の哲学の要諦の一つを「何も存在しないことはある種のユートピアであり、そこから誰かを有感覚の世界へ引っ張りだしてくる必要性は特にない。また、現実政界ではユートピアを実現するために多く犠牲が伴ってきたし、それはこれからも変わらないだろう」と控えめなテンションでまとめており、著者がやや過剰にディスしているのではという懸念を抱きました。換言すれば、そもそも“キャンバス”すらベネターの反出生主義には存在していない、ないしそれを認識する主体が存在しないということです(こちらのブログがより詳しいです)。

  『生まれてこない方がよかった』に於いてベネター自身が『(反出生主義の理想が実現することはまずないだろうが)真実は言挙げされねばならない』『(自分が人間好きなこともあり)自身の結論が誤っていることを願ってやまない』と語っていることからも彼の反出生主義を本書1章で紹介されているゲーテの『ファウスト』に登場する『メフィストばりの宇宙の全存在を無に帰させようとする魔王じみたラスボス思考と重ねるのは厳しいのではないでしょうか。

  著者もそれを見越して先述の4章で『アートマン』『ブラフマン』『独在的存在者』という概念を引っ張ってきたのかもしれませんがそれらを以ても果たして無の優位性・安寧を崩す根拠になるとは思いませんでした。人生を生きる『おまえ』がだれであろうとも、不安定な『存在』の混沌に訳も分からず投げ入れられるという事実、暴力性は覆せないのではという凡俗な意識のひっくい反論しか浮かびませんでしたが。

  無論ベネターら現代の反出生主義を代表する学者たちの理論も完全というわけではないし、特に一般人としては反出生主義がどう生かされうるかについての言及が彼らの議論であまり拾われていなかったり、人類逓減に伴う問題などへの具体的な方針が薄めであったりと気になるところはあります。

  著者はまた、反出生主義の帰結である有感覚動物の絶滅は実質不可能であり、反出生主義は常に敗北の可能性にさらされ続けるとも語っていました。しかし、現代の反出生主義者の哲学者達の多くは、基本的にはアカデミックな領域でまず反出生主義を語っており、自身らを「活動家ではない」と前置きしたうえで、あらかじめ有感覚生物の絶滅に伴う困難、例えば人類絶滅後の食物連鎖の継続、特に肉食動物の存在を例にとり自身らの主張を現実にそのまま宛がうことの陥穽を把握していますからこの批判自体は今更何故?と思いました。

 更に言うと先述のKen Coates氏は、チャイルドフリーや反出生主義のムーブメントは現実世界でそれなりに勢いを増してきており、ベネターは反出生主義の実社会への影響を寧ろ過小評価しているのではという指摘も行っています。直接関係があるわけでは無いのですが何なら未来の地球全体の人口減少を予見したこんな本も2019年に発表されています。

 学術的な領域で生物の絶滅という帰結に頼らない反出生主義的な理念を、例えば意識を電脳世界へ移管していくこと、人間のそもそものメカニズム自体により大きく干渉することに可能性を見出すこと、そして、より幅広く日常的な文脈で出生や有感覚生物の犠牲を減らすこと、養子を取ることなどで一定分反出生主義の理念を実現しようとしている人々も既に存在しています。*3

 より一般的ないし日常的な文脈で語られる反出生主義/誕生否定が先述した『メフィストばりの破滅的なラスボス思想と異なるのはその辺なのです*4

  また、『生命の哲学』『誕生肯定』を貫くとなると先述した通り寧ろ当てのない闘いに誰かを巻き込み続ける期間はどうしても長くなるだろうし、結果的にその方が破滅的な帰結を呼び込みやすいのでは?と邪推してしまいました。 Business Insider Japanのインタビューでは「『誕生肯定』を抱いて死ぬ人生と『誕生否定』を抱いて死ぬ人生に上下はない」と著者は語っていましたが果たして...いずれにせよ、本書を手に取って著者の『生命の哲学』『誕生肯定』に胸をうたれたという方にも是非反出生主義関連の書籍も手に取って頂き、本書で語られなかった反出生主義の説得力や豊穣さに触れてみてもらいたいと切に願います。

 

参考

私たちは「生まれてこないほうが良かったのか?」哲学者・森岡正博氏が「反出生主義」を新著で扱う理由 | Business Insider Japan

将来世代を産出する義務はあるか?:生命の哲学の構築に向けて(2)

「誕生肯定」と人生の「破断」を再考する:生命の哲学の構築に向けて(8)

『生まれてこないほうが良かった』に対する森岡正博氏の批判について - 汚辱に塗れた40年

The Exploring Antinatalism Podcast #5 - David Benatar

The Case for Not Being Born | The New Yorker

 

『生まれてこないほうが良かったのか?』 https://www.amazon.co.jp/dp/4480017151/ref=cm_sw_r_cp_apa_fabt1_emDTFbC4THTCT

『生まれてこない方が良かった』 https://www.amazon.co.jp/dp/4795403600/ref=cm_sw_r_cp_apa_fabt1_qnDTFbBV6WBMW

Ken Coates氏の著作『Anti-Natalism: Rejectionist Philosophy from Buddhism to Benatar』 https://www.amazon.co.jp/dp/B00J7UQAAI/ref=cm_sw_r_cp_apa_ilDTFbNYBYFJX 人類絶滅の可能性についての本『Empty Planet: The Shock of Global Population Decline』 https://www.amazon.co.jp/dp/B07G79WR56/ref=cm_sw_r_cp_apa_opDTFbWV3GTC6

 

 

*1:浅薄な聞きかじりで敢えて書くと、ニーチェ自身ニヒリズムニヒリズムすらも否定という道筋を辿っているので、彼の墓を叩いても復活したいか聞いてもわりとあっさり自分が言ったことだしと了承してしまうかもしれないし、また、「その疑問自体が無意味」「どうせ無意味なのだから勝手にしろ」と答えるかもしれません。やっぱりまた狂気に沈んでしまうのかもしれません。要するにどっちでもいい?本書の著者もこの辺もまた鑑みて『永劫回帰』の私小説的性格や危うさに気づかれたのでしょうか?勿論ニーチェが受け容れようがいまいが永劫回帰の正しさと全く関係なしという意見もまたあるでしょう。

*2:似たような比喩はベネター自身も用いていましたが、こちらの方がより的確かな?という比喩を本記事で紹介しました。

*3:じゃあ反出生主義者でほんとに養子取った人なんているの?とよく問われる点ですが、例を挙げると、反出生主義者で哲学博士のMiguel Steiner氏は実際に養女を二人育て上げています。https://youtu.be/ompSvO8VXbg

*4:構成変更の余地が無かったのかもしれませんが、特に若い読者だと、ファウストvsメフィストのイントロに感化されすぎてその後の章もちょっと色眼鏡をかけた状態で読んでしまったのではというのは流石に老婆心・パターナリズム乙といったところでしょうか。