ぽんこつ地獄変

ジュマンジやグリードアイランドを超えるクソゲーとの闘争

反出生主義者が見た映画『あのこと』

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 生々しい肉体的な痛みが凝縮された作品でした。劇場は終始張り詰めた空気に包まれ、前の席に座られていた私よりも遥かに人生経験豊富であろう壮年のご夫妻も劇場を出てから暫く全くお話される様子もなく、この作品に込められた尋常ならざる覚悟の重みを改めて痛感しました。戦争の産めよ殖やせよ的名残、宗教、今よりさらに強かったであろうミソジニーがもたらした歪みがひとりひとりの女性にどれだけ重くのしかかっていたことか。自身も中絶経験があり、Annie Ernauxの原作が描写する時代背景に怒りを抱いたAudrey Diwan監督以上に人間、特に女性の性やエゴ、自意識、強さ、逞しさ、弱さ、そして温かみを上手く、激しく描写出来る作家はほぼいないでしょう。

 

 以下、ネタバレしている箇所あり

 

 

 中絶を取り巻いていた環境

 映画では具体的な年数は提示されていませんでいたが、簡単に調べたところ当時のフランスでは中絶を試みた女性自身は6か月から2年の懲役と360~2000フランの罰金の併科、中絶を行った者は1年から5年の懲役と1800~10000フランの罰金の併科、そして常習的に中絶を行っていた者に対しては5年から10年の懲役と18000~2500000フランの罰金の併科に処せられていたようです。懲役に関しては言うに及ばずですが、当時1フランは75円ほどだったということで罰金も全く軽い額でなかったと言えます。

 

 当時”天使をつくるもの”と暗に呼ばれていた堕胎医が劇中に登場し、主人公に400フラン要求していましたが、ばれるリスクを考えると見合っているのかどうか微妙な額にも思えてきます。

 

 加えて中絶を行っていた者が医師や薬剤師などであった場合は最低でも5年服務出来なくなるとの規定もあり、実質各職に対しての死刑宣告ですから、劇中で医師たちが主人公が少し中絶を仄めかしただけで焦りを隠せなかったのも頷けます。*1

 

 反出生主義と中絶

 

これから簡単に紹介するどちらの論も、法的な次元ではなく厳密な道徳や倫理的立場に立脚している為、法的に中絶の実行を最終的に握るのは女性であるとしていることは共通していることを最初に記しておきます。

 

 まず、反出生主義の代表的な論客の一人であるDavid Benatarは自身のPro-death viewで中絶を擁護していることで知られています。中絶をしないのには極めて優れた理由を要する、と強い論調を展開しつつ、Pro-death viewへの道のりを機能的利害・生物的利害・意識的利害・反省的利害から妊娠期別胎児の脳波検査、胎児が「私たちと同じような未来」を持っているとするMarquisの議論などの検討を通して舗装しています。この議論に加えて「中絶を認めないないし促進しないことには苦痛を感じる主体が増える」という直感も手伝ってか、他の多くの反出生主義者もこれに倣うかProchoice派です。

 

 一方、少数派ながらJulio Cabreraは上記の直感は単純なものに失すると論じ、性暴力や母体の危険といった例外的ケースを除いて中絶に反対する立場を取っています。もう少し具体的に述べると、(実存主義に基づけば)人間の存在は生物学的要素や意識の有無といった事項によってのみ支えられているのではない。また、生むにしても中絶するにしても結局胎児はその段階では生む側の欲を充足させるためのモノとしてしか実質扱われていない。結果として、この世にこどもを引き込むことがあらゆる脅威に誰かをさらすことに他ならないにしても、他者ではなくこの世に引き込まれた自身がその脅威をどう扱うかの主体になれるという点で、中絶しないことは優れた選択肢と結んでいます。

 

 この文章を書いている私はProchoice寄りの人間ですが、両者の考え方を理解したり煮詰めたりすることで、よくある反出生主義者はなぜ自殺しないのか?という素朴な暴言に対し、一部の反出生主義者はたとえ自分たちの中だけだったとしても説得力のある反論を用意出来るかもしれない、そんな心持になりました。

 

 改めて感想をもう少し

 

 本作の主人公、アンヌはいつかこどもは欲しいが学業に打ち込めないだろうから、将来の選択肢が狭まってしまえばこどもを愛することなど出来ないだろうという理由で違法だった中絶を試みます。友人からも見捨てられそうになり、妊娠させた男にもそっけなく扱われ、仕方なく掻爬法を試みるシーンがあまりにも切迫していて、だからこそ主人公と違った思想に至った人間にも真摯に訴えかけてくるものがありました。

 

 言うまでもなく主人公を取り巻いていた当時は今現在と地続きであり、少なくない金銭と引き換えに別地方や海外に渡航するか、自身を死や病気の危険に晒してでも中絶を試みるか、ひょっとするとそれよりもひどい環境に置かれた女性もまだまだ大勢いる状況です。

 

 反出生主義と中絶の権利を巡る応酬は距離がありますし、反出生主義者の間で中絶に関する議論が十分になされているとも言えないながら、社会の不都合になる意見・行為が圧殺され続けるおぞましい現状に危機感を覚えました。恐怖は”進化しすぎた意識”なる人としての普遍的な次元だけではなく、あまりにも身近でリアルなところまでも足音を立てているといって差し支えないのかもしれません。

 

 

 

 参考

 

http://ayanokanezuka.jugem.jp/?eid=56

 

http://www.atheismandthecity.com/2018/04/abortion-and-anti-natalism-part-2-pro.html

 

https://fxtop.com/jp/cnvhisto.php

 

https://www.youtube.com/watch?v=7HhFZ38zYQ8

 

 https://www.lacommune.org/Parti-des-travailleurs/archives/France/La-bataille-pour-le-droit-a-l-avortement-i1688.html

 

 https://www.hollywoodreporter.com/movies/movie-reviews/happening-levenement-1235009267/

 

 https://www.ledevoir.com/culture/cinema/676017/cinema-l-evenement-c-est-a-moi-que-ca-arrive

 

 

*1:フランス語の法律原文が読めず、翻訳に頼ったので各年数や金額は間違いの可能性アリ