ぽんこつ地獄変

ジュマンジやグリードアイランドを超えるクソゲーとの闘争

エイリアン3 感想 全文

ネタバレ全開なので未見の方はご注意を

 

デヴィッド・フィンチャー監督のエイリアン3は、アクションホラーSFの傑作と評される第2作目からガラリと作風を変えたことや、見せ場にやや欠けていたり展開がもたつき気味だったりしたことから当初酷評の嵐だったようです。監督本人ですら、公開に際して行われた再編集が気に入らず、自分の作品としては認めていないようですし、批判され過ぎて暫く業界から足を実質洗っていたというのも有名な話です。実際エイリアンシリーズナンバリング4作品の中では最も地味な作品だと思います。しかし、第1作目に漂っていた閉塞感をより煮詰めたような陰鬱な世界観や主人公リプリーを取り巻く凄惨な境遇・そして彼女が最後に導き出した答えが後年肯定的に再評価されるようになったことから、独特で尖った味付けにハマるタイプの方にはうってつけの作品とも言えます。

 

また、監督の次回作であるSE7EN」ほど反出生主義を直接表現した場面があるわけではないのですが、それに近い側面もいくつか持っています。今回はそれについて簡単に探っていきます。

 

 エイリアン3のぶっ飛んでいるところとして、初っ端から第2作目で主人公が救いだした幼い少女を含む人間2名とアンドロイドがあっさり事故で死んでしまうことが先ず挙げられるでしょう(アンドロイドの方は厳密には瀕死)。第2作目の冒頭でも、第1作目のラストで長いコールドスリープに就いていた為に、実の娘に先立たれたリプリーからすると2度娘を殺されたようなもので、化け物側が続投することが多いホラー映画界にあって力強く主人公を張り続けたが故に彼女はおぞましい運命に翻弄され続けたのです。

 

早速、不時着した凶悪な犯罪歴を持つ男性しかいない囚人惑星で亡くなった2人の為にキリスト教の教義に基づいていると思しき葬儀が行われます。ここで彼らに手向けられる言葉の中に少し反出生主義的というか、改めて「生」の闇の部分にスポットライトを当てているというか、そんなものもあってハッとさせられます。

 

「この子もこの男もこの暗き世を去った」「この子は早く死んで人生の苦労は知らずに済む。そして男の苦労は終わった」といったセリフが並べられる中、彼らの死後の安息を皆が祈るのです。

 

『神と生命倫理』『History of Antinatalism』といった反出生主義を論じた書籍が、聖書においても、人生や労働の賛美だけではなく、人生の苦悩や生殖の否定に繋がる箇所が見られることについて言及していましたが、それが改めてここで確認できます。製作者達の趣味もあるでしょうが。

 

加えて、中盤でエイリアンの脅威から逃れられていないことに気づき始めたリプリーが仲間のアンドロイドを再起動させ、自分達が乗ってきた宇宙船で何が起こっていたか確認するシーンは安楽死を想起させます。「苦しい お願いだ」「切ってくれ」「消滅したいよ」とボロボロになってしまった体で苦しそうにリプリーに訴えかけ、機能停止させてもらう彼の姿から、ロボットに人間のような意識を持たせることもまたむごたらしいと思うようになる方がいても不思議ではありません。

 

自身が新たなエイリアン・クイーンの宿主であることに気づいたリプリーが、生物兵器開発という邪悪な野望に燃える科学者たちを振り切り、溶鉱炉にダイブして悪夢を終わらせるというラストシーンも、ここでは背後のテーマを語り切れないほど奥行きがあり、大変示唆的です。特に、前作の監督であるジェームズ・キャメロンの「ターミネーター2」と似たラストであり、自決の理由も似ているところがあるのにリプリーとT800両者の胸中に去来する思いが全然違ったんだろうなというのが興味深く思えます。T800が未来から来た自分が自決することで未来へ思いを繋ぐというちぐはぐながら熱い思いを抱えて消滅したのに対し、生物学的には同じ女性であるクイーンの胎児と共に滅びることで男性社会やその抑圧を否定し、全てを喰らいつくしかねない禍根を絶ったとも取れるリプリーの状況はより考えさせられます。

 

蛇足ながら、反出生主義者としては、冒頭の葬儀やこのラストシーンでこども(時代)や次世代へ人々が抱えている憧憬や恐怖の片鱗を本作が見せてくれたことを特に評価したいです。如何なる状況下であってもこども達はまだまだ全世界規模で生まれてくるでしょうし、彼らの人生に抑圧的に干渉しようとする気も毛頭ないです。が、こどもが社会の礎として扱れがちな割に、一人一人の人生が割と容易く食い潰される現状に恐怖を抱き続けて生きることは先ず誰であっても避けられないし、それは続いていくでしょうから、なおさらこの”深堀り”もまた強い価値を持ち続けるのではないかと思いました。

 

 

参考

http://movie.tatsuru.com/alien.html

http://www.webdice.jp/dice/detail/5981/

神と生命倫理

https://www.amazon.co.jp/dp/477102667X/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_1QH8RVKHQ9G3X41SN1M8

https://calil.jp/book/477102667X

 

History of Antinatalism

https://www.amazon.co.jp/dp/B089XBYZWL/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_EM6KXTMPPCBZK0Q397KB

未邦訳反出生主義本探求其弐 History of Antinatalism: How Philosophy Has Challenged the Question of Procreation

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41rr+GblPUL._SX352_BO1,204,203,200_.jpg

Amazon | History of Antinatalism: How Philosophy Has Challenged the Question of Procreation | Lochmanová, Kateřina, Kutáš, Michal, Svoboda, Filip, De Giraud, Théophile, Poledníková, Markéta, Akerma, Karim, Koumar, Jan, Cabrera, Julio, Vohánka, Vlastimil | Social History

 

 これまたKindle Unllimitedで追加料金なしで読める本であり、いくつかの反出生主義関連のメディアで紹介されていたので軽い気持ちで手を出してみましたが、パンピーには読むだけで中々骨の折れる錯雑な要素が盛りだくさんな内容であり、ベネターによるいわゆる非対称性理論を記号論理学や分析学で解体したMichal Kutáš氏による寄稿などはその辺の素養がさっぱりない人間からしたら特に手に負えなさ過ぎて序盤からノックアウトされてしまいました。どうやら2018年頃に反出生主義についてまとめる為のカンファレンスが開催されていたらしく、その成果などがこの本に詰め込まれている様です。しかしながら、ソロヴィヨフによる生殖否定への筋道の立て方や新約聖書に見られる生殖批判の解説などは、反出生主義と一見相性がよろしくない観点からでも(広義の)反出生主義を拾い上げられるという解釈を提供してくれているという点で私的には斬新でありました。さらに、余談ですが、時に『潔癖』とディスられてしまう現代反出生主義の理論付けと至善を追い求めようとする・していた過去の人類の精神の揺れ動きにいみじくも共通項が見いだせるのではとも感じた次第です(無論それ自体が良いかどうかは脇に置くとして)。ギリシャ哲学において本当に反出生主義的な思想の先鞭がつけられていたかどうかの検証なども苦しいながらも少しだけ楽しめました。私は本書のエッセンスの100分の1も吸収できませんでしたが反出生主義を本格的に研究して卒論などを書くような方には持ってこいではないでしょうか。著者達が認めるように現代ないしごく最近のムーブメント、そして東洋の反出生主義に関しては手薄な感もありますが内容自体にはガチ勢でもまず納得するでしょう。いつも以上に乱文になってしまいましたがひとまずこんな感じで。

 

参考

youtu.be

本書執筆陣の一人であるKateřina Lochmanová氏が先述のカンファレンス開催に伴った苦労、ソロヴィヨフの哲学、反出生主義に対する自身の姿勢などについて語っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未邦訳反出生主義本探求其壱 The Nihilist: A Novel by Keijo Kangur

                                        https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/31AQva6151L._SX311_BO1,204,203,200_.jpg

Amazon | The Nihilist: A Novel (English Edition) [Kindle edition] by Kangur, Keijo | Literary | Kindleストア

 

  エストニア出身の著者によるデビュー作。著者の経歴はこちら参照。また、冒頭部が作者自身により公開されています。

The Nihilist: A Novel. First three chapters | by Keijo K. | Dangerous Stories | Medium

ただし、経歴のページ下部にある質問コーナーは実質ネタバレなのでやっぱり読後にチェックするのがよいかと。

 近頃小説は滅多と読んでいなかったのですが、何気なくamazonでantinatalismと検索してみるとこの小説が最初のほうに上がってきたので、kindle unlimitedで追加料金無しで読めるということもあり、手を出してみたという次第です。現在出ているのがこの英語版、エストニア語版、スペイン語版の三つらしいですが著者の英語は癖がなくて読み易く、さほど時間をかけずに読み切れました。しかし若い人がこの作品のニヒリズムが持つある種の猛毒をどう受け取るのか未知数なので本作を勧めるのは若干不安ではあります。。。

 

 まあそれはともかく、タイトルからも察せるように、著者本人とその人生を投影した主人公、そしてシナリオ全体は思い切りニヒルでペシミスティックであり、大部分主人公が酒やタバコに耽溺しつつ、この世が如何に無意味なモノか、意味をひねり出そうとすることがアホらしいか口汚く、エログロも交えて悪態をつき続けるという内容になっています。また、デビュー作で且つ半自伝であるという性格も手伝って著者に影響を与えたのであろう映画・音楽・哲学・文学のテイストが闇鍋的にちりばめられており、『ここはベネターやTrue Detectiveだな』とか『芥川やZapffeはこんなことを考えていたのか』など、反出生主義周辺のダークな思想をサクッとおさらいするにもうってつけになっております。また、特に、反出生主義者やペシミスト・ニヒリストにとってはうんうんと頷けるポイントが多すぎるため、却っておためごかしばかりの毒のない多くの娯楽作品よりずっと"救い"になってしまっています。例えば本書内でも

 I discovered a book by the Romanian philosopher Emil Cioran called On the Heights of Despair. The book brew my mind. Although it was negative to the extremem, it seemed  to say what I had suspected all along.

  とあり、著者も反出生主義を提唱する哲学者の代表格であるシオランから特に濃い感銘を受けていることが伺えるのです。この点、『生まれてきたことがくるしいあなたに』の著者であり、ルーマニア思想研究者である大谷崇氏が同書のあとがきで「自分が言いたいことはすでにこの人にすべて言われてしまっていたと思った」と述懐しておられることとややダブります。やはり『最強のペシミスト』の二つ名は伊達ではなかった様です(脱線)。

 

 そんなこんなで世のニヒリスト・ペシミストは主人公もとい著者に移入してしまって結末が気になってページを繰る手が止まらなくなる筈ですが、そこも先述した”おためごかしばかりの毒のない多くの娯楽作品”と違った安逸でない、けどある意味笑えるような締め括りとなっておりますのでご安心して刮目下さい。

 

本書に登場する楽曲

youtube.com

 

 

参考

 

著者Facebook

https://www.facebook.com/subversivestories

 

 

 

 

  

True Detectiveのアマプラ配信終了に思う

https://i.redd.it/uvrtowks1vi21.jpg

https://www.reddit.com/r/antinatalism/comments/auwd4r/true_detectives_rust_cohle/

 

子作りなんてのは思い上がりだ

無から魂を引っ張り出し

肉塊の中に押し込むなんて

生命を脱穀機に入れるようなもんだ

だから娘は俺を

父親になるという罪から救ったんだよ

 

 

True Detective 1st Season 第二話 『幻覚』より

 

 怜悧ながら超ニヒルなラスト・コール刑事が、子供を持つ刑事達に向かってまくし立てたのが上記。相方のマーティ・ハート刑事ににお前の小難しい表現や単語はもううんんざりだと面と向かってディスられていましたがそれも頷けますね(笑)しかし家族や恋愛礼賛の内容に偏ってしまっている日本のテレビドラマでここまで反出生主義者の溜飲を下げてくれるセリフは未来永劫登場することはないでしょう。スポンサーや事務所におんぶにだっこすぎますし。

 反出生主義へ引き入れられた頃に自分を圧倒してくれた作品が今年いっぱいで配信終了というのは何とも寂しいので、配信延長が無かったら何年かぶりにDVDボックスでも買おうかなと思います。シーズン3まで全部見てみて、まあ他のシーズンも同性愛、人種差別、PTSDなどヘヴィなテーマを取り扱っていて見ごたえはあったにしろ、やっぱり至高だったのはこのシーズン1でした。特に時間がない方にもまず1話と2話だけは見ていただきたいと思います。

コール刑事が結局反出生主義から逸れてしまう*1、そもそも彼が反出生主義に至った切っ掛けが娘の死であることが不純で、ニヒリズム・ペシミズムと反出生主義を強く結びつけすぎな感もある*2という反出生主義者目線からの欠点もあるにせよ、綺麗ごとほぼ抜きで純度高目の大人の作品を所望する向きには第一群の候補であり続けること間違いなしです。

 

 

 

*1:
http://sciencetime.seesaa.net/article/446965128.html

*2:
https://www.youtube.com/watch?v=4qPohUqvDN8 また、本作をBLとして捉える余地があったのに少し驚きました。刑事ものはバディものが多いので『推し』は見つけ易いだろうし、本作はたっぷり累計8時間の尺を取っている分、コール刑事とハート刑事の関係の揺れ動きが克明になっているのでなるほどとは思いました

Fullscript of Let's Explore Japanese Antinatalism Culture Part4 ("Better never to have been?" by Masahiro Morioka Review)

f:id:ponkotsujigokuhen:20201119174643j:plain

https://youtu.be/LYBYLT9S1JI

 Masahiro Morioka, a renowned professor, studying philosophy and ethics for 3 decades, published the book titled "Better Never to have been? " in October 2020. If someone would like to learn his "Philosophy of life" up here, perhaps links available in the description work, I guess.

 

 As we know, many talented authors already talked about antinatalism in their works in the past centuries. Still, though, the approach to antinatalism in this book is unique to most of us. If I had to say, the composition of this book is a bit similar to "Ken Coates's Anti-Natalism: Rejectionist Philosophy from Buddhism to Benatar".

 

 This book is trying to "overcome" antinatalism. However, it doesn't negate all aspects of antinatalism, so knee-jerk perfunctory criticism was not found a lot there.

 

 Also, in chapter 7, he lambastes the cons stealthily slept in the philosophy of Jonas and Weinberg, in which they are justifying the continuation and procreation of humanity. From this chapter, we easily can estimate that the author does aware of the violent aspects of procreation.

 

Furthermore, in his other work called "Painless Civilization", he denounced killing male chicks in the middle of stockbreeding as meaningless and cruel. 

 

What got me was the message told in the introduction. "Between the philosophers all over the world, they are sharing the cognition, namely, we should gradually take a look into the non-western philosophies ."

 

He buckles down to put it into practice especially in chapter 4 to 5. If the readers' interests are in understanding the gist of primitive Buddhism and the difference between it and modern antinatalism, these chapters would be fascinating.

 

Regrettably, I can't talk about them a lot, you will be able to deepen your insights about how "I or ego"  were considered in the context of Buddhism.

 

Yet, in some chapters and parts of this book, his goal is obviously to debunk modern antinatalism and its theory. In my personal opinion, it isn't very alright.

 

For example, in chapter 6, by citing Nietzsche's "Love of Fate" and "Eternal Recurrence", he paves the road to his "Birth Affirmation".

Principally, he positively accepts the statement of "Love of Fate", namely, "I never wish for it, which is, like, a better world than I currently live, could have been there." But, he subtly backs down from "Eternal Recurrence"- "No matter how it was tragic, I wish for it again."

 

Either way, I guess, if humanity continues to procreate, they must push "Eternal Recurrence" which is slightly different than original form to themselves and future generations.

 

He already admits this point in a bit different form. Plus, we are not sure if Nietzsche himself would accept his "Eternal Recurrence" again considering his last gruesome days. The latter suggestion is a bit off-topic maybe.

 

Still, we also ought to recognize that an individual truly accepts "Love of Fate" sometimes completely overcomes Pollyanna Effect and becomes a name.

 

In chapter 2 and 8, he uses a metaphor to explain the philosophy of Schopenhauer and Benatar like below; "They won't have a drop of ink a white canvas impaired"

 

But for instance, Benatar just wrapped one of the gists of his philosophy as I remember like below (obviously different than the original quote, sorry)

 

"There is no need to bring someone into existence because in the situation before they are born they didn't have to feel any pain and doesn't need any pleasure; it's a utopia. Notwithstanding, countless blood has already been shed to search for unexisting utopia. I think this would, unfortunately, go on."

 

 Put another way, the "canvas" he mentioned in his metaphor cannot exist in the first place. Also, (one)self that recognizes the existence of the "canvass" (I found a website written in Japanese which succeeds to explain this point very well . Link to that page available in description. Hope translator works fine). 

 

Additionally, "Better never to have been" itself indicates "I have written this book, then, not under the illusion that it will make(much) difference to the number of people there will be but rather from the opinion that what I have to say needs to be said whether or not it is accepted". Considering this, it is illogical to liken his philosophy or perhaps entire modern antinatalism to the desultory evil desire of "Mephisto", whose target is to annihilate all the existence to ground zero as he did in chapter 1.*1

 

Probably the author also already notices this point so he cites the concept of "Ātman" and "Brahman" in chapter 4. Still, I am not so sure if he succeeds to negate "void"'s predominance.

 

Of course, most of us are not a worshiper of modern antinatal philosophers. I, as a "commoner", sometimes think there could have been more mentioning about the possibility of antinatalism in real life, for instance, how we would fight against the problems caused by Phased extinction.

 

He also notes that "the extinction of all the sentient lives; the consequence of antinatalism will never be attained. Because of this, antinatalism always has to face the possibility of its defeat" in chapter 2.

 

Notwithstanding, most modern antinatal philosophers,e.g., Benatar, Metzinger, and Cabrera already admitted this point. Regarding themselves as non-activists or non-fulltime activists, they meticulously point out the difficulty we will have to confront when we try to realize the extinction of sentient beings, overcoming foodchains, and so on. While he freely expands the notion of his"Philosophy of Life" and "Birth Affirmation", he perhaps exaggeratedly limits the practicality of antinatalism in real life. His modus operandi isn't kosher, ha?

 

Anyway, maybe I should talk about how people other than those philosophers make an effort to utilize the notion of antinatalism in real life. Some people are seeking it through the possibility of transmitting the awareness of human beings to the virtual world, others are reducing sufferings prevailing this world by not procreating, not eating sentient animals, or adapting.

 

From above, I could say, antinatalism, especially in a broader sense, is far different than the aforementioned Mephisto's devastating nihilism. 

 

Plus, as far as I reckon, by keeping on walking along with "Philosophy of Life" and "Birth Affirmation", they also could prolong the term of nearly endless battle which unnecessarily could mar other sentient beings' lives.

 

Either way, I would like someone who's impressed by his "Philosophy of Life" and "Birth Affirmation" to read other books that profoundly elaborate on antinatalism. Far be it from me to say this book was below my expectation, I enjoyed reading than I imagined, but the viewpoints regarding antinatalism presented by this book were not enough in my personal opinion.

 

Reference

Lifestudies.Org: Philosophical Study of Life, Death, and Nature: Masahiro Morioka

エッセイ・論文 :: 哲学,環境倫理,メディア,いのち,エコロジー

『生まれてこないほうが良かった』に対する森岡正博氏の批判について - 汚辱に塗れた40年

私たちは「生まれてこないほうが良かったのか?」哲学者・森岡正博氏が「反出生主義」を新著で扱う理由 | Business Insider Japan

 

https://www.amazon.co.jp/dp/4480017151/ref=cm_sw_r_cp_apa_fabt1_emDTFbC4THTCT

Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence - Kindle edition by Benatar, David. Politics & Social Sciences Kindle eBooks @ Amazon.com.

Anti-Natalism: Rejectionist Philosophy from Buddhism to Benatar - Kindle edition by Coates, Ken. Religion & Spirituality Kindle eBooks @ Amazon.com.

 

*1:Obviously,this paragraph is badly intricated and convoluted. In a simpler form,this coulda been like this-"In cahpter 1, he uses the metaphor of "Mephisto" to  show why antinatalism is possibly considered too extream as a means to reduce unnecessary suffereings"

生まれてこないほうが良かったのか? ――生命の哲学へ! (筑摩選書) by 森岡 正博 感想

             

         https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41HBe3XQ6sL._SX344_BO1,204,203,200_.jpg

https://youtu.be/X7aHDFRs1n0

(本記事音声)

 『生命の哲学へ!』シリーズ第1部として書かれた本書。『生命の哲学へ!』第2部と『誕生肯定の哲学』が続刊予定とのこと。『生命の哲学』に関しては射程範囲が広いこともあり、また著者が以降創造していこうとする領域なので興味のある方は著者のサイトで 一連の論文をチェックし、購入判断材料としてみても良いでしょう。ここでは主に『誕生肯定』の方を検討していきます。

 反出生主義をメインテーマに据えた書籍が沢山出版されてきた中、こういったアプローチでこの哲学を取り扱った本はおそらく初と思われます。強いて言うなら反出生主義の全体像を語ったうえで自分の立場を提示するという構成は社会学者のKen Coates氏著『Anti-Natalism: Rejectionist Philosophy from Buddhism to Benatar 』と似通っており、同書は本書の参考書籍の一つにもなっています(但し両著者の立場はかなり異なっている)。

 反出生主義を“乗り越える”ことを目標とした書籍ですが、反出生主義を全否定することが目的ではないので、140文字やそこらで語られるような脊髄反射的でおざなりな反出生主義への反論もほぼ見受けられませんでした。また、人類が繁殖し続けることをとかく善と見做す出生主義/礼賛的な内容でもなく、7章では人類の存続/繁殖を肯定しようとするヨーナスやワインバーグの思想に潜む欠点の洗い出しが行われています。この点は慎重に議論が進められており、ここから著者が出生に伴う暴力性に無自覚ではないことが伺えます。著者の過去作『無痛文明論』でも確かオスのひよこが畜産の過程でシュレッダーにかけられ無意味に殺害されることについて疑問が投げかけられていた筈なので、人間が他の動物に為す害悪についてもまた意識されていると言えそうです。

 著者が冒頭で非西洋の哲学も徐々に語られねばならないという認識が世界的に広がっていると語っていたのが印象的で、有言実行している4-5章はなかなか独自色が強く興味深かったです。原始仏教の要諦や現代の反出生主義との差異を学びたい人には特に価値のある箇所でしょう。詳しくは解説できないのですが、東洋、特に仏教において『我』がどのように受け止められてきたか、それが反出生主義をめぐる議論でどう生きるのかということが語られていました。

 ただ、言うまでもなく本書は『生まれてこないほうが良かった』を強く意識した題名ですが、現代の反出生主義への論駁を試みている箇所は個人的にはいまいちでした。

 著者は6章でニーチェの『永劫回帰』『運命愛』を手掛かりに『誕生肯定』への道筋を探し出そうとしており、特に『運命愛』の『現にそれ(より恵まれた世界線など)があるのとは違ったふうなあり方であってほしいなどとは決して思わない』という命題を肯定的に受け容れ、どんな悲惨な過去であってもそれをもう一度希求する『永劫回帰』と距離を少し置く姿勢を示していますが、人類が繁殖を続けていくのであれば結局薄まった形ないし異なった”時間”の概念を伴った『永劫回帰』を受け容れるなり押し付けるなりせねばならないのではという疑問を抱きました。著者も自身のニーチェの哲学をそういう風に受け取ることの欠点はある程度認めていますし、外ならぬニーチェも自身の人生、特にその末期を何度も受け入れられるのかというと疑問ですし(こちらは些末な問題かもしれませんが)*1、この点は素直には受容しがたいところです。

  一方チャイルドフリーであり、ニーチェアンであった岡本太郎が純粋な量で言えば、殆どの子持ちよりも後世に多大な功績を遺しているのを見るに、ポリアンナなお花畑ではない『運命愛』を真に抱いて突き進んだ人間のパワーに目を見張るものがあることも頭に入れておいた方が良いのだろうなとも思いました(雑)。

  他に、著者は2章でや8章でショーペンハウアーやベネターの哲学を「白いキャンバスに一滴もインクを落とすことを認めないもの」という比喩を使って糾弾していますがこのあたりも引っかかるポイントが多かったです。*2

  まず、ベネター自身は自身の哲学の要諦の一つを「何も存在しないことはある種のユートピアであり、そこから誰かを有感覚の世界へ引っ張りだしてくる必要性は特にない。また、現実政界ではユートピアを実現するために多く犠牲が伴ってきたし、それはこれからも変わらないだろう」と控えめなテンションでまとめており、著者がやや過剰にディスしているのではという懸念を抱きました。換言すれば、そもそも“キャンバス”すらベネターの反出生主義には存在していない、ないしそれを認識する主体が存在しないということです(こちらのブログがより詳しいです)。

  『生まれてこない方がよかった』に於いてベネター自身が『(反出生主義の理想が実現することはまずないだろうが)真実は言挙げされねばならない』『(自分が人間好きなこともあり)自身の結論が誤っていることを願ってやまない』と語っていることからも彼の反出生主義を本書1章で紹介されているゲーテの『ファウスト』に登場する『メフィストばりの宇宙の全存在を無に帰させようとする魔王じみたラスボス思考と重ねるのは厳しいのではないでしょうか。

  著者もそれを見越して先述の4章で『アートマン』『ブラフマン』『独在的存在者』という概念を引っ張ってきたのかもしれませんがそれらを以ても果たして無の優位性・安寧を崩す根拠になるとは思いませんでした。人生を生きる『おまえ』がだれであろうとも、不安定な『存在』の混沌に訳も分からず投げ入れられるという事実、暴力性は覆せないのではという凡俗な意識のひっくい反論しか浮かびませんでしたが。

  無論ベネターら現代の反出生主義を代表する学者たちの理論も完全というわけではないし、特に一般人としては反出生主義がどう生かされうるかについての言及が彼らの議論であまり拾われていなかったり、人類逓減に伴う問題などへの具体的な方針が薄めであったりと気になるところはあります。

  著者はまた、反出生主義の帰結である有感覚動物の絶滅は実質不可能であり、反出生主義は常に敗北の可能性にさらされ続けるとも語っていました。しかし、現代の反出生主義者の哲学者達の多くは、基本的にはアカデミックな領域でまず反出生主義を語っており、自身らを「活動家ではない」と前置きしたうえで、あらかじめ有感覚生物の絶滅に伴う困難、例えば人類絶滅後の食物連鎖の継続、特に肉食動物の存在を例にとり自身らの主張を現実にそのまま宛がうことの陥穽を把握していますからこの批判自体は今更何故?と思いました。

 更に言うと先述のKen Coates氏は、チャイルドフリーや反出生主義のムーブメントは現実世界でそれなりに勢いを増してきており、ベネターは反出生主義の実社会への影響を寧ろ過小評価しているのではという指摘も行っています。直接関係があるわけでは無いのですが何なら未来の地球全体の人口減少を予見したこんな本も2019年に発表されています。

 学術的な領域で生物の絶滅という帰結に頼らない反出生主義的な理念を、例えば意識を電脳世界へ移管していくこと、人間のそもそものメカニズム自体により大きく干渉することに可能性を見出すこと、そして、より幅広く日常的な文脈で出生や有感覚生物の犠牲を減らすこと、養子を取ることなどで一定分反出生主義の理念を実現しようとしている人々も既に存在しています。*3

 より一般的ないし日常的な文脈で語られる反出生主義/誕生否定が先述した『メフィストばりの破滅的なラスボス思想と異なるのはその辺なのです*4

  また、『生命の哲学』『誕生肯定』を貫くとなると先述した通り寧ろ当てのない闘いに誰かを巻き込み続ける期間はどうしても長くなるだろうし、結果的にその方が破滅的な帰結を呼び込みやすいのでは?と邪推してしまいました。 Business Insider Japanのインタビューでは「『誕生肯定』を抱いて死ぬ人生と『誕生否定』を抱いて死ぬ人生に上下はない」と著者は語っていましたが果たして...いずれにせよ、本書を手に取って著者の『生命の哲学』『誕生肯定』に胸をうたれたという方にも是非反出生主義関連の書籍も手に取って頂き、本書で語られなかった反出生主義の説得力や豊穣さに触れてみてもらいたいと切に願います。

 

参考

私たちは「生まれてこないほうが良かったのか?」哲学者・森岡正博氏が「反出生主義」を新著で扱う理由 | Business Insider Japan

将来世代を産出する義務はあるか?:生命の哲学の構築に向けて(2)

「誕生肯定」と人生の「破断」を再考する:生命の哲学の構築に向けて(8)

『生まれてこないほうが良かった』に対する森岡正博氏の批判について - 汚辱に塗れた40年

The Exploring Antinatalism Podcast #5 - David Benatar

The Case for Not Being Born | The New Yorker

 

『生まれてこないほうが良かったのか?』 https://www.amazon.co.jp/dp/4480017151/ref=cm_sw_r_cp_apa_fabt1_emDTFbC4THTCT

『生まれてこない方が良かった』 https://www.amazon.co.jp/dp/4795403600/ref=cm_sw_r_cp_apa_fabt1_qnDTFbBV6WBMW

Ken Coates氏の著作『Anti-Natalism: Rejectionist Philosophy from Buddhism to Benatar』 https://www.amazon.co.jp/dp/B00J7UQAAI/ref=cm_sw_r_cp_apa_ilDTFbNYBYFJX 人類絶滅の可能性についての本『Empty Planet: The Shock of Global Population Decline』 https://www.amazon.co.jp/dp/B07G79WR56/ref=cm_sw_r_cp_apa_opDTFbWV3GTC6

 

 

*1:浅薄な聞きかじりで敢えて書くと、ニーチェ自身ニヒリズムニヒリズムすらも否定という道筋を辿っているので、彼の墓を叩いても復活したいか聞いてもわりとあっさり自分が言ったことだしと了承してしまうかもしれないし、また、「その疑問自体が無意味」「どうせ無意味なのだから勝手にしろ」と答えるかもしれません。やっぱりまた狂気に沈んでしまうのかもしれません。要するにどっちでもいい?本書の著者もこの辺もまた鑑みて『永劫回帰』の私小説的性格や危うさに気づかれたのでしょうか?勿論ニーチェが受け容れようがいまいが永劫回帰の正しさと全く関係なしという意見もまたあるでしょう。

*2:似たような比喩はベネター自身も用いていましたが、こちらの方がより的確かな?という比喩を本記事で紹介しました。

*3:じゃあ反出生主義者でほんとに養子取った人なんているの?とよく問われる点ですが、例を挙げると、反出生主義者で哲学博士のMiguel Steiner氏は実際に養女を二人育て上げています。https://youtu.be/ompSvO8VXbg

*4:構成変更の余地が無かったのかもしれませんが、特に若い読者だと、ファウストvsメフィストのイントロに感化されすぎてその後の章もちょっと色眼鏡をかけた状態で読んでしまったのではというのは流石に老婆心・パターナリズム乙といったところでしょうか。

反出生主義者から見た映画『存在のない子供たち』

丁度日本では一年前位に公開された映画『存在のない子供たち』(原題کفرناحوم、英題Capernaum)は貧困にあえぐ少年がこの世に自分を生んだ親を訴えるという内容ゆえに一時期反出生主義界隈でも話題になっていました。映画の公開と前後してインドでRaphael Samuel氏が反出生主義的理念に基づき、自身を生んだ両親を訴えようとしていたためリアルと虚構がシンクロしていたのも追い風だったのかもしれません。こちらの訴訟は彼が弁護士に相談しても、「理論は腑に落ちるがやっぱりクレイジーだ」と返されてしまったようだし、そもそも訴訟自体も受理されなかったようですが。

 

反出生主義≠always出生主義・出生主義の批判

この映画がどうしてそこまで反出生主義的ではないかというと、まず、映画自体がフォーカスしているのがレバノンのスラムで子供のような弱者が如何に理不尽に虐げられてしまっているか、そこでの結婚・出産に関する価値観が破綻していることかだからです。各種メディアでの批評も貧困故に生じる問題を描く圧倒的な監督の手腕や筆致を評価する向きが多かった記憶があります。詳しくは語りなおしませんが、主人公の妹が年上の男に強引に嫁がされ挙句出産時に負担に耐え切れず亡くなってしまったり、それに反発して家出した主人公が親に捨てられた見ず知らずの赤子と当てもなくさまよい続けたりする場面では日常から大きく乖離した別の狂気じみたグロテスクな日常を眼前に叩きつけられ、かなり考えさえられます。

 

ついでに言うと、監督のナディーン・ラバキー氏にもお子さんが二人いるようなので、「子供がいる人とはもう対話もしたくない」というタイプの反出生主義者の方からすると、それだけでこの映画を見る気は無くなってしまう可能性があります。

 

じゃあ反出生主義者が溜飲を下げられるようなポイントは無いのか?と言うとそうではないのです。ネタばれになってしまいますが、映画の終盤では自分と多くのきょうだいをさんざんネグレクトし、挙句妹を実質的に死に追いやった両親がまた新しい子供を作っておきながら盲目的に「神からの授かりものだ」などと喜んでいる中、主人公は冷たく、力強く言い放つのです。「心が無いのか」と。肝心の裁判のシーンでも延々主人公の両親は自分たちは子供たちになんでもしてやった、こんな親不孝者をもってなんて不幸なんだと白々しい言い訳を繰り返していました。

 

繰り返しになりますがこの映画のコアは、上述の貧困がもたらすおぞましい日常を描くこと、その社会で親の責任が軽視されすぎ、人間ひとりひとり、とりわけ子供たちと女性たちの人権が蔑ろにされ、貧困がさらにループしてしまうというメッセージなのでしょう。換言すれば、反出生主義の「だれであっても、人生をスタートする価値・所以はない」という趣旨はそこに見当たらず、「責任をとれず、子供を愛し育めないなら生むな」という意思がそこにあるだけなのです。どちらかというと想定されている観客は発展途上国の貧困に強い興味を抱く方かと思われます。この作品を反出生主義的と呼ぶよりはそのエッセンスも多少は持っている。位の結論に落ち着くでしょう。

 

なんだかんだで見るべき作品

ごちゃごちゃ取り留めなく語りましたが、親と子の関係性を描く作品の殆どが彼らの間の絆・込み入ったところでもせいぜい小さ目な確執を描くところに終始せざるを得ない中、ここまで壮絶で破綻した親子関係、そして親となる人間が背負おうべき責任を描いてくれたナディーン・ラバキー氏の胆力は間違いなく称賛に値します。貧困に関しても、「こんな街に生まれなくて良かった」だけにとどまらない印象を与えてくれることは間違いないです。この映画は貧困ポルノなどといった矮小な枠では間違いなく括れない可能性を湛えています。